九十九自由大学が「池上彰の教養のススメ」から学ぶこと

前回ご紹介した「池上彰の教養のススメ」は、内容が多岐に渡るため、私の能力では掻い摘んでご紹介することが難しいと感じます。 そこで、この本のあとがきをご紹介したいと思います。 あとがきとは言っても、その内容は決して底の浅いものではないと思います。

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「教養」が、直接日々の仕事と直結する職業があります。 政治家です。 一国の大統領や首相ともなると、政治家の発言は、その国を代表します。 たった一人の人間の評価が、国の評価、国の行く末を決めることがあるのです。 だからこそ、政治家には、とりわけ一国をまとめる政治のトップには、深い教養が求められます。 歴史、地理、民族、宗教、経済...、あらゆる知見を下敷きに、相手国と交渉し、発言する。 時にしたたかに、時には真摯に。 自国にとっての国益を最大限に引き出しながらも、相手国を毀損しない。 政治家の最大の武器の一つは、「本来ならば」教養であるはず、なのです。 そこで、現代の日本の政治家を振り返って...という話は、ここで止めておきましょう。 よく言われるのは、戦前の政治家は教養があった、という話です。

戦前の日本には、本書でも触れましたように明らかな教養主義が高学歴層の間に存在しました。 自学自習で哲学や文学を学び論じる旧制高校の成り立ちなどは、古き良き教養主義の象徴ともいえましょう。 戦前の教育を受け、旧制高校から東京帝国大学を卒業したかつての政治家たちは、「教養」という面では間違いなく現在の政治家たちよりも勝っていました。 でも、私は、ひとつ疑問を抱いています。 戦前の日本の政治家や、あるいは彼らと席を並べて同じ教育を受けた官僚や財界のリーダーたちの多くは、ある一点において、本当の「教養」にたどり着けていなかったのではないか、と思うのです。 その一点とは、「多様性のなさ」です。

戦前のエリートたちの大半は、東京帝国大学の「法学部」を卒業しました。 それ以外の学校、どころか、それ以外の学部ですら、希だったのです。 この傾向は、戦後もずっと続き、霞が関のエリート官僚たちの多くを占めるのは東京大学法学部出身者でした。 この世で法学部が教えられることは限られています。 けれども東大法学部は日本のエリート養成所という代名詞になってしまったがゆえに、その教育カリキュラムの中味とは関係なく勉強のできる人間が上から順番に入る場所になりました。 しかもそこに集まったのは、戦前は100%、戦後も9割方が「男だけ」です。 彼ら一人ひとりがどれだけ教養豊かであろうと、しょせんは一つの大学の一つの学部を出た「男たち」にすぎません。 同じ文化、同じ因習、同じ考え方に囚われてしまわない保証は一つもないのです。

第二次世界大戦で日本を敗戦に追いやった大日本帝国政府の首脳部にしても、バブル崩壊から金融崩壊までをも起こしてしまった戦後の日本政府や金融機関の首脳部にしても、「東大法学部」的なモノカルチャー集団でした。 進化生物学を紐解くまでもなく、私たちが次の時代に生き残るために必要なのは、常に多様性です。 「さまざまな人たち」が「さまざまな経験」「さまざまな知恵」を寄せ合い、そこからいくつも新しいアイデアが生まれる。 そんなアイデアのひとつが、たまたま次の環境に適応して生き残る-。 戦前の政治家や官僚や財界のリーダーは、もしかすると今よりも「教養豊か」だったのかもしれません。 でも、彼らは負けました。 なぜ負けたのか。 その理由の一つに、多様性のなさがあった、という点を見逃してはならないでしょう。

教養は常に多様性とセットであるべきだ、と思います。 教養がその価値を本当に発揮するのは、多様性が担保されている場所だ、と思います。 つまり、文化の多様性であり、人種の多様性であり、性の多様性であり、世代の多様性であり、経験や知識の多様性です。 現代は、ひとりで森羅万象を知り尽くすゲーテやレオナルド・ダ・ヴィンチ的なスーパー教養人を求める時代ではないのかもしれません。 ひとりですべてをカバーしなくてもいい、チームをつくればいいのです。 電子工学技術者、美術の才に長けた人、スポーツアスリート、天性の営業マン、宇宙物理学者、ハーバードビジネススクールの卒業生、弁護士、学校の先生、ジャーナリスト。 さまざまな職能を持った人、さまざまな専門を持った人、さまざまな趣味を有する人、さまざまな教養を持つ人が、チームをつくって新しい何かを生み出そうとする-。 ひとりひとりがスーパー教養人である必要はない。 多様なひとびとが集まり、多様性のあるスーパー教養チームをつくればいい。

私はいま、勤務している東京工業大学リベラルアーツセンターで、学生たちにそんな多様性のある「教養チーム」を組織して新しい試みに踏み出してもらいたいと思っています。 理系の単科大学に見える東工大でも、工学部の分野は建築から機械から電子に至るまで多岐に渡りますし、生命理工学分野や理系の物理や数学分野は、工学とはまったく異なる個性と専門を持った学生たちが揃っています。 理系のみの東工大で多様性のある教養チームが結成できるようになれば、総合大学ではもっと多様性のあるチームができるでしょう。 そしてもちろん社会においては、もっともっと多様な教養チームをつくることができるはずです。 教養ある個人を育てるだけでなく、教養あるチームを育てる-。 教師としての私の、次の目標です。

本書をきっかけに、読者のあなたが教養ある個人となり、教養あるチームの一員となり、明日の社会、明日の世界を担うことを願います。 2014年3月 池上 彰
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池上さんが中心となって書かれた上記の本の内容は、「九十九自由大学」構想に至る私の想いと共通する部分が少なくありません。 ただ、大きな違いは、私は教養人ではないということでしょうか。 そんな私でも、池上さんがおっしゃることの真意は理解できるつもりでいます。 もしそうでなければ、他の方々が私の誤った考え方を正しい方向へと導いてくださることを期待します。

九十九自由大学(つくも じゆうだいがく)は、トランジション・タウン 九十九里町の活動の一つ、「知のリ・ローカリゼーション」の一環として実現が計画されているものです。 この自由大学構想は、以前私が関心を寄せていた「世田谷ものづくり大学」を手本としたもので、基本概念は「集合知と実学の有機的な結合」です。
詳細は、別の機会にお話ししたいと思いますが、興味のある方は本ブログサイトの「お問い合わせページ」からお問い合わせ下さい。

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